パニック障害、終わりの始まり

パニック障害でも仕事をしながら生きていく

初めまして、にゃはっぴ~です。

このブログを見ていただいてるという事はパニック障害に悩まれている方か、そのご家族の方だと思います。

このブログはパニック障害の私が試した治療法、試している健康食品、病気との付き合い方、仕事との向き合い方などを紹介していきます。

このブログが少しでもパニック障害に悩まれているかたの手助けになれば幸いです。

私がパニック障害になった経緯


私が最初のパニック発作を起こしたのは26歳の2003年(平成15年)5月のことです。

当時、私は保険の営業をしていました。成績は比較的よく周りからも期待されていました。

私生活も結婚3年目で子供も生まれまさに順風満帆でした。しかし私には一つ気になっていることがありました。

それは1年前からあった謎の「吐き気」です。毎日気分が悪く、お客様先で営業→嘔吐→お客様先で営業→嘔吐の繰り返しでした。

普通なら病院に行くところですが、成績は絶好調で社内のポスト、収入共に上がりまさに有頂天でした。

今思えばアドレナリンやドーパミン、アルコールで体調が悪いのをごまかしていたのだと思います。

そんな生活を1年間も送って無事な訳はありません。(今考えてもバカな自分でした)

5月のある日、会社から車で帰宅中に『それ』は突然襲ってきました。

急に下痢の時のような腹痛と今までに経験したことのない猛烈な吐き気、手足が恐ろしく冷たくなり、うまく呼吸が出来なくなり意識がもうろうとしてきました。

すぐに車を止めたかったのですが、交通量の多い一車線の国道だったのでそれもできません。

何とか500m位運転した後、バス停があったので車を止め救急車を呼びました。

救急搬送され病院についたころには発作はおさまっていました。その時の先生は「おそらく疲れでしょう、それと風邪ですね」と診断しました。

ほんと悪い意味で「風邪は万病のもと」ですね。

会社に連絡し大事を取って4日間ほど休みを頂き、休養したあと普通に復職しました。

会社でも「何があったのか?」「原因は何か?」などいろいろ聞かれましたが、結局原因不明のまま、何事もなかったように、今までの毎日が始まりました。(毎日の嘔吐は継続中でした)

・・・そして再発


5月にパニック発作を起こして半年が過ぎた1月の中旬、再びそれは突然にやってきました。

朝の5時ごろに突然の腹痛で目を覚まし、それと同時に手足から血の気が引き過呼吸になりました。

なんとか寝ている妻を起こし、背中をさすってもらいました。

夫婦そろって流石にこれはただ事じゃないと思い、仕事を休んで病院に行くことにしました。

とりあえず原因がわからないので「内科」に行くことに。内科の先生から「おそらくこれはメニエール病だから耳鼻咽喉科に行きなさい」と言われ紹介状をもらって耳鼻咽喉科に行きました。

耳鼻咽喉科では「メニエール病ですね。点滴しましょう。」と言われ点滴をすることに。(その時の点滴の成分は覚えていません。)

その点滴の最中、再び発作が襲ってきました。すると先生が「やっぱりメニエール病じゃないね、脳の病気かもしれないから紹介状を持って総合病院に行きなさい」と言われたので行くことに。

今考えるとこの時点で終わってます。ときどき襲ってくるパニック発作とその原因がわからないことで完全に心も体もボロボロでした。

総合病院へ行きMRIを撮ることになりました。MRIは仰向けに寝た状態から頭を板のようなもので完全に固定し、筒状の機械の中へ入って電気みたいなものを流して脳の中を撮影するのですが、やばいです。

MRIは健康な状態の人でも圧迫感を覚えるらしいです。ましてや不安マックスの私のような人が入ると・・・恐怖しかありません。

検査が始まったと同時に発作が起きたので、すぐ中止してもらいたくて「もうやめてください」と大きな声で叫んだのですが、操作室にいる検査技師たちには聞こえません。(レントゲンやMRIなどは同じ部屋には誰もいません)

全身汗だらけになりながらも検査に耐え、脳の撮影終了。結果異常なし。

その時の心境は「まさに万策尽きた」って感じでした。

病院から帰ると携帯に職場から電話がかかってきました。

上司「原因は分かった?」

私「いえ・・・わかりませんでした。」

上司「気にしすぎじゃないのか、別にお前がサボってるとは思ってないが一人欠けるだけでこっちも大変なんだよ。」

思っていないのならわざわざ相手に伝える必要なんてありません。

 

自律神経失調症は病名ではない!!


またもや原因がわからないまま職場復帰したわけですが、うまくいくはずがありません。

結局2日ほど職場に言ったあとパニック発作の為に会社に行くことが出来なくなりました。

職場の人たちからは呆れられ、家族は不安になり何もかもが滅茶苦茶でした。当時一番つらかったことは母親から「あなたをそんな意志の弱い人間に生んだ覚えはない」と言われた事ですね。

妻が必死になって調べてくれて心療内科に行けば、という事で総合病院の中にある心療内科に行きました。

色々と心理テスト的なものに答えた後、先生から「自律神経失調症ですね、ドグマチールを処方しておきますね、発作で死ぬことはありませんけど、会社は1か月は休んでください」と言われ会社に診断書を出しました。

そして1か月後、体調は良くなるどころかますます悪くなっていました。車に乗るどころか、外出することさえ出来なくなりました。

このまま今の病院、今の薬を飲んでいてもよくならないと思い別の病院に行くことにしました。

心療内科ではダメだと思い精神病院に行くことに。

そこで初めて自分の病気が『パニック障害』であることを知りました。

それとその先生から「自律神経失調症というのは色々な病気の際に体に出る症状の名前であって病名ではないんだよ。」と教えていただきました。

当時はあまり知られていない病名で、周りに言っても理解されませんでした。

しかしながら病名がついたことでかなり安心できたことを覚えています。原因不明ほど怖いものはないですから。

パニック障害の治療開始


投薬と認知行動療法、暴露療法を併用して治療が開始されました。

薬はパキシル(20mg)とガスター(10mg)、頓服としてソラナックス(0.4mgを1日4回分)です。

認知行動療法とは思考など認知に焦点をあてることで発展してきた心理療法の技法の総称

Wikipedia参照

認知行動療法を行うにあたり、不安なことを10段階に分け少しずつクリアしていくわけですが、これは人によってかなり違いが出ると思うます。

参考までに私の場合は1が「30分の散歩」で5がファミレスで食事、10が高速道路や自動車専用道路の運転くらいでした。

パニック障害の治療の状況や回復の速度および困ったことなどは次のページに書いてます。

>>>次ページ『認知行動療法3つのコツ

 

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